クレタ人は存在できるか

パラドックスって言葉はあんまり数学に詳しくない人でも聞いたことくらいはあるんじゃないかと思います。
パラドックスと一言でいってもいろんな種類のパラドックスがあるわけですが、要するに数学的にちょろっとおかしいことが起こっちゃうことをパラドックスと呼んでいるわけです。
有名なパラドックスの1つに「クレタ人のパラドックス」というのがあります。
これはどういうものかというと、「クレタ人のエピメデスさんが『クレタ人は嘘つきである』と言った」というものです。
この文をよく見て考えてみてください。
エピメデスの言うようにクレタ人が嘘つきであるとすると、クレタ人であるエピメデスも嘘つきであることになり、その嘘つきであるはずエピメデスが『クレタ人は嘘つきである』という真実を言っていることになってしまうので論理的に矛盾してしまいます。
今度はエピメデスの言うことは真っ赤な嘘で、クレタ人が正直者であったとすると、当然エピメデスも正直者ということになり、正直者のエピメデスが『クレタ人は嘘つきである』なんていう大嘘を言うなんてことはおかしいので、また矛盾してしまいます。
つまり、よほどひねくれた見方をしない限り、この出来事は論理的にありえないことなわけです。
では、エピメデスのようなクレタ人はこの世に存在しえないのでしょうか?
答えは簡単です。
ここにクレタ人のパラドックスを簡略化したステキな言葉があります。
「わたしは嘘つきです」
さあ。これからこの言葉を、自分は100%嘘しか言わないんだという意味を込めて言ってみましょう。
こういうのは気持ちがすごく大切です。この言葉はあなたが絶対に嘘しか言わないという意味です。信じてください。
いいですか?
ではどうぞ!!


(≧o≦)!!!!


うんうん。
ほらね、日本語を口にできるだけの能力がある人なら必ず言えたことでしょう。
あなたは嘘つきですか?正直者ですか?
おめでとう。これであなたは論理的には存在しえないはずの不思議な存在になれました。
さてさて、これでただ不思議だなぁと思うだけじゃつまらないので少し考えてみましょう。
なぜあってはならないことがこんなにも簡単に実現できてしまったのでしょうか。
そもそも「わたしは嘘つきです」というのは我々が使い慣れた日本語の文でありました。
問題は、日本語(に限らず一般の自然言語)がこの世界で起こる出来事と1対1の対応がとれていないところにあります。
この場合だと、この世界では起こらないことでさえも日本語では表現できることがわかります。
それだけなら問題はない、というかむしろ想像性をかきたてるとても素晴らしい言語ということになるのですが、じつはそんなに甘くはないでしょう。
自然言語(日本語や英語等)にとっての大きな壁は、世界で起こることが全て厳密に表現できるか、と言われるとおそらくそうではないところです。
そもそも、言葉に対してそれを世界の現象と結び付けているのは、各個人、人間各々が勝手にやっていることです。
なので、人によって言葉と世界との対応付けのしかたに違いがあって当然です。
誤解を消すことは絶対にできないと言っても過言ではないでしょう。
ある「言葉」を説明するのにまた別の「言葉」を使っていたのでは、それに近づくことはできても完全に同じ対応をもたせることは不可能です。
もし言葉と世界との対応においてみんなで共通の意識を持とうとするならば、ファンタジーの世界に出てくるような魔法の呪文でも使わないかぎり無理でしょう。
例えば「メラ」と叫んでいつも同じ炎が出るのなら、その「メラ」という言葉とその炎が出る現象を結びつけることによって、誰もが誤解なくその対応をもたせることができます。
ところが日本語ではそうはいきませんね。
いい加減でうまく整理されることもなく、形を変えながら存在しています。
でも自然言語はこれでいいんです。
その厳密さを犠牲にしてでもその柔軟さを武器に、現在最も人間によく使われています。


ところが、数学の世界ではこうはいきません。
19世紀の終わりごろに、ラッセルさんという数学者が、集合論と呼ばれる世界の出来事の表現方法(とここでは言っておきましょう)において、このクレタ人のパラドックスのようなパラドックスを見つけてしまいました。
この世界ではありえない(と思われる)ような出来事が表現できてしまうことが明らかになったのです。
ここでの「ありえない」という意味は「1=2」のような間違っていると判断できるもののことではありません。
正しいのか間違っているのかすら判断ができないおかしなもののことです。
数学的な表現方法では、これはあってはならないことなわけです。
この発見によって数学界に巻き起こった危機を数学の危機なんて呼び方をしたりするんですが、なんでこんな話になっちゃったんだっけ?
いかんいかん・・・さらに長くなりそうだからこのへんでやめとこ。


ようはあれです、いい加減な言語なんかを信じきっちゃうと不思議な気持ちになれるってことを言いたかったんです。
自然言語に厳密な意味をもたせるのは不可能なんです。たぶん。
この宇宙の前で人間はとんでもなく無力なんです。悲しいけど。
だってまず俺らは有限個の記号の有限個の組み合わせでしか表現できないしね。
これだと身近にある実数でさえ全て表現することはできないんだよ。
ルートの記号だとか無理数を表そうとする記号はいくつかありますが、それだけじゃ全然ダメダメ。足りません。
えーっと・・・ほんとこのへんでやめときます。
多分とんでもなく数学ができる人がみたらアホな文章になっちゃうのかもしんないけど、
ていうより1年後の自分が見るだけでもどんだけ怖ろしいことになるかわかんないけど、
書いちゃった。どうせ誰も見ないだろうけどね・・・。いいんだ。エーン